2009年 01月 26日

新島田橋と島田橋

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 江戸時代の昔、天白川と山崎川がつながっていたという。どこを流れていたのか知りたくなり古地図を探してみたが、今のところ明確にはわからない。過去の天白川の流れは解明できていないが、古地図を見ていると思わぬところに池や川があったり、古くからある道とかいろいろな発見がある。我母校も広見池というかなり大きな池の中にすっぽり入っている場所のようだ。
 昭和13年の地図にも弥生が岡はある。南下すると島田橋もある。しかしよく見ると現在の島田橋とは位置が少しずれていることがわかる。
 Twtrfさんと天白川を散策。昔の島田橋の痕跡が何かないかと付近を見てみると、探すまでもなく大きな橋脚の基礎が残っていた(上の写真、後方が新島田橋)。何度も自転車ですぐ横を走っているのに気付かないものだ。
 下の写真にあるように昔の天白川流域は見渡す限りの田圃が広がっていた。東海豪雨でもそうだったようにしばしば洪水がおこり、その対策のために山崎川と繋いだ時期があったようだ。
 かつての島田橋から一望する景色は一面田圃だったのでしょう。
 新島田橋の東にある喫茶店に入った。ご主人によるとそのあたりの旧地名を店の名前にしたとのことだが、「鷺**」・・、思い出せませんが、いい名前でした。

09.01.18 


昭和13年の地図
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昭和20年頃の写真c0035318_1414265.jpg

昭和60年頃の写真c0035318_0565333.jpg

by yayoigaoka | 2009-01-26 01:18 | 自由研究


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